“酷かったね”の一言で片づけられた、あのパワハラの日のこと

before-i-broke [本質] 依存なき共生

在宅勤務を始めたばかりの頃、
私は「オンとオフの切り替えが難しい」という壁にぶつかっていました。
起きる時間も服装も自由すぎて、集中できない──
そんな課題については、前回の記事でお話ししました。

けれどあの時期、実はもう一つ、
もっと深く、もっとしんどい出来事がありました。

それが、社内でのパワハラと、その後の対応です。
当事者として現場に立ち会い、
強い怒りと違和感を抱いた私は、やがてある決断を下すことになります。

今回は、その経験を通じて私が感じた
「本当の働き方」について、正直に綴ってみたいと思います。

私はあの日、この組織を信じることをやめた

いま振り返っても、あの日の光景は、私にとって決定的な分岐点でした。
「社内打ち合わせがあるから」と呼び出され、久々に出社したオフィス。
会議室で目にしたのは、何事もなかったかのように座る加害者の姿でした。

怒りや驚きよりも先に、心がすっと冷えたのを覚えています。
会社は、あの騒動をなかったことにするつもりなんだ。
その空気を、言葉ではなく空間全体から直感しました。

形式的な打ち合わせが終わると、私は静かに席を立ち、そのまま帰宅しました。
午後に予定されていた全社会議にも出ず、会社をあとにしたのです。

あれが、私にとって最後の出社になりました。
けれど、不思議と悲壮感はありませんでした。
むしろ、「もうこの組織に期待しなくていい」という安堵感のほうが大きかったように思います。

当時はストックオプションの権利も残っていました。
それでも、私にとってはもう充分でした。
言葉を尽くすより先に、「帰る」という行動で気持ちが決まっていたのだと思います。

パワハラ以上に問題だった、組織の反応

ある日、社内でパワハラが発生しました。
けれど、いま振り返って思うのは、本当に問題だったのは「そのあと」だったということです。
加害者の言動以上に、組織としての対応、そして上層部の姿勢に違和感を覚えました。

その場にいたのは私だけではありませんでした。
私を含め、複数のメンバーが、言葉や態度によって深く傷つけられていたのです。
そして現場では、実際に掴み合いの喧嘩が起こり、仲裁に入ったのはCTO本人でした。

──そう、後に「沈黙と昼食」で済ませようとした、あのCTOです。
あの瞬間、彼は現場にいて、事態の重大さを目の当たりにしていたはずでした。

それでも、会社が正式に動き出したのは1週間ほど経ってから
当事者が目の前にいたにも関わらず、何もなかったかのように静まり返った時間が流れていきました。

問題だったのは、加害者の行動だけではありません。
問題を見ていながら、見なかったことにしようとする組織全体の姿勢──そこに、私は限界を感じ始めていたのです。

加害者の上司の沈黙と、“昼食”という処理

騒動の数日後、加害者の上司から「よかったら昼でもどう?」と誘われました。
そのとき、私はとても不思議な気持ちになりました。

謝罪の言葉は一切ありませんでした。
正式な話し合いの場でもなく、ただ昼食という“私的な場”で、
すべてをうやむやにしようとしているように感じたのです。

ああ、この人は「一緒にランチをする」ことで、もう済んだことにしたいんだな。
そんな空気が、言葉ではなく沈黙から伝わってきました。

私はその場で、はっきりと伝えました。
「受け入れるつもりはないので、代金は自分で払います」と。
「パワハラ」という言葉は出さなかったけれど、私の中ではこれは明らかにその“後処理”のつもりだと受け取っていました。

沈黙と昼食。
その組み合わせは、「この件は表沙汰にしたくない」という無言の意思表示にしか思えませんでした。
“謝罪”の代わりに“昼食”を差し出されたような感覚は、今思い出しても胸の奥が冷たくなります。

F社出身の上司は無関心というかたちでの責任放棄

さらに私を失望させたのは、直属の上司の態度でした。
その人は、かつて大手SIerにいた経験を持つ人でしたが、
今回の件については最初から最後まで完全に沈黙を貫きました。

一言もありません。
「大丈夫だったか」と声をかけてくれることもなく、
私が精神的に動揺していることも、あえて見て見ぬふりをしているように感じました。

あるとき彼がぽろっとこんなことを言ったんです。
「おれ、R出身なんだけどさ」
──特に文脈もなく、唐突に。

たしかに、東工大や慶應といった大学の出身者もいましたが、
そうした人たちは、あえて学歴を話題にすることはありませんでした。
実のところ、私自身も、そうした話題には距離を置いてきた方です。
だからこそ、唐突に学歴を持ち出されたとき、
「なぜ、今それを?」という違和感だけが、妙に記憶に残っています。

そのときふと思ったのです。
関心が向いているのは“過去の肩書き”であって、いま目の前の現場じゃないんだなと。
だからこそ、部下がどんな目に遭っていようと、真正面から向き合うことができなかったのかもしれません。

関わらないことが最善──そんな文化の中で長く働いてきたのかもしれません。
でも、責任のある立場にある人間が、関心を持たないことほど恐ろしいものはないと、私はこのとき知りました。

誠実さよりも、形式に見えた謝罪

唯一、表立って謝罪の言葉をくれたのは、私の部門の取締役でした。
その姿勢には、一定の誠実さを感じました。
けれど、内心では「この人が謝るしかなかったのかな」という違和感も残っていました。

そして後日、同じ取締役から、こんな連絡がありました。
「彼(加害者)が、弁明と謝罪をしたいと言っている」と。
その順番に、私は強い違和感を覚えました。
なぜ“弁明”が先で、“謝罪”が後なのか。
まず被害を受けた側の気持ちに寄り添うべきなのに、
加害者の言い分を“先に聞いてほしい”というその姿勢に、組織の歪みが滲んでいました。

しかも彼は40代。
その年代でこの対応……と考えると、彼がどんな環境で、どういう価値観の下で採用されたのか、否応なく気になってしまいました。

採用の経緯は定かではありません。
けれど、彼の直属の上司があのCTOだったことを考えると、
「自分が採用したから、なぁなぁで済ませたかったのではないか」という疑念が、どうしても拭えませんでした。

ハラスメントに向き合うでもなく、謝罪の場を設けるでもなく、
「沈黙と昼食」で済ませようとするその姿勢は、
まるで最初から“問題化しない”ことが目的だったかのように思えたのです。

会社という組織が“処理”のために動くとき、
本当の意味での解決や再発防止は、二の次になるのだと痛感しました。

「酷かったね」という一言に宿る軽さ

退職が決まり、最後のあいさつを社長にしたときのこと。
返ってきた言葉は、たった一言でした。

あれは酷かったね。

その言葉に対して、怒る気にもなれませんでした。
むしろ、その“他人事感”に、すべてが凝縮されていると感じました。

自分の会社で起きたことに対して、
「問題だったね」と言うのではなく、「酷かったね」と距離を置く。
それがこの組織のトップのスタンスなのだと、静かに受け入れるしかありませんでした。

わたしがこの組織を見限ることにした理由

すべてを見届けたあと、私が決断したのは「離れる」という選択でした。
怒りや悲しみもありましたが、それ以上に残ったのは、「ここには、もう信頼できる土台がない」という確信です。

きっかけになった出来事はひとつではありません。
見えてしまったのは、組織の内側に根を張る“無責任の連鎖”。
それを見てしまった以上、何事もなかったふりでは、もう働けませんでした。

感情的に辞めたわけではありません。最後まで向き合った末の、静かな撤退でした。
その過程をここに書き残すことは、同じような状況で揺れている誰かの背中を、少しでもそっと押せたらという願いでもあります。

全社会議を無視して帰った最後の日

あの日は、社内で全社会議が行われる日でした。
でも、私はその会議には出ませんでした。正確に言えば、会議の直前に社内に入り、呼び出しを受けてミーティングに出たあと、そのまま帰ったのです。

理由は、加害者が平然と社内にいたから。
何事もなかったかのように会話を交わす彼の姿を見た瞬間、「この会社に“常識”は期待できない」と直感しました。

会議をすっぽかすなんて、かつての私なら考えられなかったことです。
でも、この時ばかりは「ここにい続ける方が、よほど無責任だ」とすら思えたのです。

在宅勤務によって守った心の距離

在宅勤務制度があったことは、当時の私にとって数少ない救いでした。
加害者や、その上司と物理的に距離をとれることが、何よりも心の安定につながったのです。

一見すると「働きやすい制度」ですが、このときばかりは、職場と自分の間にバリケードを築くための手段にすぎませんでした。

毎日PCを立ち上げるたびに、「今日も顔を合わせなくて済む」と思っていた自分がいた。
それは、もう心が壊れかけていた証拠だったのかもしれません。

「やる気」だけで組織は回らないという現実

私のいたチームには、熱意のあるメンバーがたくさんいました。
私自身も、仕事に対して妥協せず取り組んできたつもりです。

でも、「やる気」や「善意」だけでは、組織の腐敗には太刀打ちできなかった。
問題が発生しても誰も責任を取らず、“動いた人”だけが消耗していく。そんな構造に限界を感じ始めていました。

気づかぬふりをしている上層部。
見て見ぬふりをしている同僚たち。
そして、「そんな中でも頑張ることが美徳」だと信じ込まされていた自分──
その全てが、もう苦しかった。

転職活動を始めるまでの静かな決断

「辞めよう」──そう決めたとき、誰にも言いませんでした。
感情的になって決断するのではなく、淡々と、自分の生き方を立て直す準備を始めたのです。

退職の理由を聞かれたとき、何を話すべきかも悩みました。
でも結局、本当の理由は、誰にも伝えないことにしました。

“何も言わない”という選択が、私なりの抵抗であり、最後の線引きでした。
誰かに理解されるための退職じゃない。
「これ以上、自分をごまかしながら働きたくない」──ただそれだけだったのです。

本当の働き方とは、自分の感覚を無視しないこと

いちばん大事なのは、自分の中にある「おかしい」「つらい」という感覚を、ごまかさないこと。
この経験を通じて、私はそれを何よりも深く学びました。

どれだけ制度が整っていても、チームが優秀でも、自分の感覚が置いてきぼりになっていたら、働き方としては破綻しているのです。

会社のルールや上司の顔色よりも、「いま、自分はどう感じているか」に正直でいること。
それが、働くうえでの“最初の約束”だったと、今では思います。

一番つらかったのは、なかったことにされること

今回の件で、私がもっとも苦しかったのは、パワハラそのものではありません。
それを見た人たちが、見なかったふりをしたこと。
そして、組織がそれを「起きなかったこと」にしようとしたことでした。

何かをされたことより、「その事実を受け止めてもらえないこと」の方が、心に深いダメージを残すんだと知りました。

もしあなたが今、「モヤモヤ」を抱えて働いているなら、
まずはその感覚を、自分自身がちゃんと認めてあげてほしい──そう思います。

変わらない組織より、自分を変えるという選択

どれだけ待っても、会社は変わりませんでした。
「改善する」と言いながら、具体的な動きがないまま時間だけが過ぎていきました。

私はようやく気づいたのです。
この組織は、変わらないことを選んでいる。
だから、私は“自分が変わる”という選択肢を取ることにしました。

転職という選択は、怖さもありました。
でも、怖さ以上に、自分をこれ以上すり減らしながら働くことの方が、よほど恐ろしかったのです。

働き方に必要だったのは誠実な関係性

在宅勤務、柔軟な労働時間、ストックオプション……
表面上の「働きやすさ」は整っていました。
でも、私にとって本当に必要だったのは、“誠実な関係性”でした。

問題が起きたときに一緒に向き合ってくれるか。
不安や違和感に、耳を傾けてくれるか。
それがあるかないかで、「働く」という行為の意味が根本から変わるのだと、身をもって実感しました。

いま私が「働き方」として大切にしているのは、
条件や制度ではなく、“人としての信頼があるかどうか”という一点だけです。

それにしても──これが、あの会社の掲げていた「ワークライフバランス」だというのなら、
たしかに“仕事と人生の境目”は、はっきりしたのかもしれません。

まとめ:あなたも、離れていい。壊れる前に

この体験を経て、私は一つの確信を持ちました。
自分が壊れる前に、離れることは「逃げ」じゃない。
むしろ、立派な選択であり、強さです。

「もう限界かもしれない」と思ったときに、
それを否定せず、ちゃんと“離れる”という選択肢を思い出せる人でいてほしい。
そして、あなたがそれを選んだとしても、誰も責める資格なんてない──そう伝えたくて、この記事を書きました。

もしあなたの会社が、何もしない場所なら

問題が起きても、何も動かない。
誰かが傷ついても、誰も見ようとしない。
そんな会社にいるなら、それは「あなたが悪い」んじゃないんです。

“組織”という言葉の下で、本来果たすべき責任がうやむやにされる場所。
そんな場所にあなたの大切な人生を預ける必要はありません。

それは、あなたが悪いわけではありません

「自分がもっと強ければよかったのかな」
「流せる性格だったら、こんなことには…」
そんなふうに、自分を責めてしまうことがあるかもしれません。

でも、あなたの感覚は正しかったんです。
「つらい」「おかしい」「怖い」──その気持ちを持てたこと自体が、
あなたが誠実に生きようとしていた証です。

「離れる」という選択は、自分を守る強さです

働くって、生きるって、
そんなに自分をすり減らすことでしょうか?
わたしは、違うと思います。

本当の意味で「働く」って、
自分の感覚に嘘をつかず、誰かと信頼関係を築いていくこと。
だから、壊れる前に離れるというのは、自分を信じる勇気なのです。

もし、あなたが今そういう場所にいるなら、
どうか覚えていてください──
離れていい。あなたの人生は、あなたのものです。

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